【社員紹介】大城達樹 共に作り続ける幸せ環境をコンセプトに社員・お客様と共に成長をしたい!

こんにちは。有限会社丸正開発 代表取締役社長 大城達樹です。

弊社では、どのような社員が働き、どのような思いで仕事をしているかを

発信していければと思い、スタートに私がご挨拶させていただきます。

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少し有限会社丸正開発の話をさせてください。

私の父でもある現会長の【大城正樹会長】が昭和50年にダンプ一台ではじめ、

お客様の声に仲間と共に答える形で、運輸・土木・舗装とやれることを増やしながら、

現在まで有限会社丸正開発は歩んできた会社です。

そして令和元年という新たな年号が始まる年に代表取締役社長に就任させていただきました。

(写真①)丸正開発さま▷代表就任式@2019年8月31日(土)

私が代表者に行きつくまで、色んなことを考えて、進んできました。

私は、ここにつくまで色んな失敗や、ありがたい助け、

自分の成長を通じて、前に進んできました。

学生時代————————-

今思い出すととんでもなく自信過剰かつ虚勢を張っていたんだと思います。
小学校
太っていて体は大きかったのだけども、気は小さかった小学生前・・・
それが嫌だったのでしょう・・・
今となっては曖昧ですが・・・
そこで兄弟に虚勢を張り、自分ができることの多さに優越感を浸っていたのだと思います。
学校で大きい部類に入りました!(横にww)
算数は一番得意でした。
ので・・・上記の点と兄弟の中で一番上ということもあり、
苦手なものが多いにも関わらず。自信を持ってしまってました。
そして中学校・・・
数学は得意
体育・英語等苦手なものはたくさんあれども
一番になれるフィールドがあったのと
中学校の弱小チームで団体戦を地区大会優勝してしまったことで、
より自信過剰と自己中が磨かれてしましました。

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高校生
勉強しなくても一番をとれてしまった数学や
部活の仲間や先輩にかわいがられることで勘違いに磨きがかかります。
私は「人望にも熱い!先輩たちもよくしてくれる。勉強もできる」
はい!最高の自信過剰人間ですww
やばいですよね~
できないことが圧倒的に多いのに、
少しのできることだけですごく威張ってました!
今思えば笑い話です。。。

恩師との出会い(初めての挫折)——-

恩師との出会い・・・
一言では語れませんが、、、
スタートは相変わらず自信過剰からスタートします。
高校生の貯金で、周りの同級生より勉強ができるほうだったんです!
しかも考えが近い同級生、車の運転もでき行動範囲も広い!
最高ですね。最高に自信過剰爆発です!

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否定されるの大っ嫌いの日々を過ごしていました。
恩師は、当初からいましたが、挫折+αをくれるようになったのは、
研究課題という論文作成の担当者が、生徒に振られ、
私の担当になったことからそこを強く思うことのスタートでした。
当時の私は【余裕だろ~】とこれからの試練を楽観視してました。。。
初めての大きな挫折それは・・・
課題に取り組む論文すら決めさせてもらえないことがスタートです。
当時の私は、自分ができる課題で余裕に行けそうなものを当然選びました。
はい!当然先生はOK出しません!
先生一言【楽してるだろ?本当にそれでいいの?それがやりたいの?】
言い返せません。かといってやりたいこと見つかりません。
時間だけが過ぎ、周りは課題が決まっていく中で私だけ取り残される恐怖・・・
強くそして激しくプレッシャーになりました。
「俺だけ卒業できないのでは・・・」
めっちゃ怖かったです。自信もなくなってきました。
最後は、難しそうだけど楽器作りたいです。楽譜なんて読めないし、
音楽の電子ICなんて使ったことないからこの本のこの文節のようなピアノ作りたいです。

先生一言

【いや誰かがやっていることをやってもね~ただこれでやるなら認めてあげる】
FPGA(LSI)・VHDL?と謎の記号
初めて見ました。ただもうそれでもいいです。
させてください。懐かしい感覚です。もう認めてもらえない恐怖から解放されたかった瞬間ですww
ここからも試練の連続です。
まずLSI・FPGAって何?それ?
VHDL/JTAGで書き込み?
へ?何を言いているんですか?
google先生の使い方もよくわからない時代・・・
検索しても難しい日本語しか出てきません。。。
どうしよう?切り分けて調べる?そもそもこれでピアノって・・・
ゴール全然見えないんですけど・・・
という2~1か月が無情に過ぎていきます。
どうしようもないので、
調べたことを先生に報告しにいきました。
すごくいろんな電子部品が詰まったチップにプログラムをして内部を
自在に作れるのではないか?ということがわかりましたが、、、
これにどうすれば対応できるか?
そもそもそのプログラム言語がどういう記述なのか?すらわかりません。。。
本を探してもゴールが見えません。。。
沈黙が続き・・・
あ~また怒られるやつ・・・
全然勉強してないって言われるやつ・・・
と思ってました。そうすると無言で先生が本を一冊くれました。
USBケーブルと線、何かの回路が入っている本・・・
これやってみれば?と
(今ならわかりますが、あからさまに普通に使用する教材ではない。おそらく私のために本やで買ってきてくれたんだと思います)
私は、お礼を言いとりあえずこの本を読むことからスタートしました。
この本によると、ハードウェアプログラム言語なるものを用いて、このチップにデータが書き込め
動作確認ができる勉強用の回路がセットになった教材ですと。
へ~これでとりあえずスタート地点に来たんだ~
と思いましたが、本に習って勉強していくと・・・
英語のサイトに行き、英語しか対応していないプログラムをインストールしろと。。。
そしてプログラムをして書き込め!と・・・
英語苦手なんですけど・・・できれば読みたくないんですけど・・・
先生に言おうかな?と思ったのですが、、、絶対怒られる。と思ったので、辞典片手に
スタートしたのを覚えてます。
まぁともかくプログラムはできるようになりました。
でも音の出し方がわかりません。
音ってそもそも何?どうやってでるの?
全然わからない私に、先生はスピーカーの線を解析機で見てみたら?と一言
何それ?授業でやっていたので、思い出した感じです。
そこから音のお勉強開始です。
知らないことだらけでした。
音には基準周波数があること、計算式があることを。。。
ここらへんでやるゴールは見えました。
ここからは得意です。考えてやるだけ、ゴールも見えた。
やることもなんとなくわかる。頑張りました!
音を出して、切り替えて、出力する!まぁまぁすぐできました。
はい。ここでも壁です。
ピアノの形でない。
そもそもそれ作るの?電気スイッチでよくね?と思いまず、試作状況を
TEST用のボードに作ってみました。
先生「ダサい!」
撃沈・・・
私にどうせいと?しばらく落ち込んでいると・・・
先生「行くぞ!」
どちらに?
先生は私と一緒に鍵盤ハーモニカ買いました。
え?これどうすんの?
ばらしました。これ押したら通電するように考えて!
なるほど!
では同線でシート作って張ってみたり、基盤作ったりいろいろやりましたが、
ムラがある。鍵盤へっこむなどいろいろ問題だらけです。
常に先生は道に詰まったときにやさしくではなく、
鬼のように道を教えてくれました。このころの私は先生を見るとびくびくです。
ただずっと寄り添っててくれました。
学級の代表にも選んでくれました。
正直この辺から自信は取り戻してきていましたが、、、
大学が短大を得て、進学するスタンスの学校だったので、進学を選び4年を選びました。
卒論が終わるころ先生に言われました。
「どうせやるなら挑戦してみなよ。」
「日本の中心で働いてみたら?」
「どうせ君に行く勇気はないだろうけど・・・」
「親の七光りとか言われるの?」
などなど言われ。。。チャレンジしてみるかはあとで考えよう。と大学残り2年を過ごします。
恩師のおかげで私は2年後東京に行くことを決心していました。
変な自信もできていてまた、少し優等生気取りでしたが、挫折後の乗り越えられた
自分を信じチャレンジしたくなったところが、最大の理由です。
この出会い出来事は私の人生で大きな出来事でした。
挫折と寄り添い前進めてあげるという生き方を見せてもらった恩師・・・
今でも私の生き方に中心にあるといえます。

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東京に就職時代アウェー状態の苦い経験

恩師からのプレッシャー(笑)や支えがあり、自分ができないであろう分野、
そして東京に進出します。
ただいつしか自信を取り戻しつつあった私の苦悩はここから始まりました。。。
就職が決まる前提の話を少ししておきます。
・就職先に東京近郊の会社にしようと考えて、先生に相談しました。
・頑張ってほしい気持ちからか担任の先生が、学校長の推薦状を書いてくれます。
・親は沖縄で仕事して、最悪別の仕事ついても手伝ってはくれると思っていた。
・他府県にて就職したい旨を親には内緒にしていた。
上記の状況で神奈川の会社に朝行ってお昼に面接を受け、夜変える弾丸面接ツアーを決行します。
で結果合格ですが、ここからいろいろ問題を抱え東京に住むことを選択します。
・まず、学校の推薦状があるので、辞退できません。ので決定です!(自分の中で)
・親に伝えていませんでした。伝えたら1週間口きいてくれなかった。。。
・親戚が関東にいることは知っていましたが、ほぼ知りません。
・友達は、もっと都心で私の近くには住んでいません。
・土地勘なんてありません。
・東京の人は時間に厳しく、めっちゃ行動力の塊!という認識でした。
はい。この状況で就職していくのです。
まずは、会社の内定懇親会めっちゃ楽しかったです。
不安がなくなりました。
就職して、3週間程度でどんどん不安になっていきます。
最初は新入社員教育でほぼ業務はしていません。
会長・社長の話を聞き、研修を受ける。
で3週間くらいで配属されました。
はい。ここで問題発生です。
・上司/先輩たちが、難しい言葉を話している。
 一言もわからない・・・勉強がぜんぜん足りないことを自覚します。
・時間に追われる開発の仕事を目の当たりにします。
 自分にできるだろうか・・・プレッシャー発生です。
頼れる人もいない状況でここに立ち向かうことになりました。
ただこのころはハングリー精神だけでどうにかなりました。
ここからです。
上司がハングリー精神を見ていて、プロジェクトコアなところにつけてくれます。
ここからがトラブルです。
・まず、負けず嫌いから、できるようにするためにいろいろ聞きまわるようになりました。
 関係ない人にもとりあえずききます。
・上司からの指示/期待は絶対だったので、それが正しい判断かもわからないが、それを進めるために
 必死でした。
このプロジェクトで、周りを巻き込み終えることができましたが、、、
実はこの間、目に見えないプレッシャー/自分ができなかったらどうしようの不安
色々重なり、毎日下痢でトイレとお友達をしていました。
ただすごくお客さんや、上司に怒られるけど経験を得て成長実感が半端なかったです。
はい。
次のプロジェクトが最大の鬼門だったのです。
・まず、仕様が決まらないものを作らないといけない。
・プロジェクトリーダーをさせてもらえた。
・最初のプロジェクトの経験しかない状態。
・多少自信をつけてしまっていた。
ここから素晴らしくアウェーです。
まったく新しいものを作るので、誰も社内にできる人がいない。
どこから手を付けていいかわからない。
ただ漠然と期日は決まっている。
前回のプロジェクトで流れだけなんとなくわかっている。。
逆算して間に合わない試作の時期が間に合わないと終わらないと思ってました。
そして皮を作る人との日程や部品の選定や、仕様の確定等何も詳細はイメージできていなかった。
しかも実は、私周りから学ぶために聞きに行くことはできてたんですが、、、
実は全く頼ることができなかったのです!
前回の経験の中に答えがあると思っていて、自分の中に答えを探してました。
見つからないのに・・・
で結果自分を責めます。
でも答えなんて出てきません。当然です。経験なんてしていないのですから。
もうここからは他人からみて自分が孤独に見えます。
いまこれをしていますの報告はできるけどどうなっているかの報告ができない。
ていうかどこに自分の現時点があるかわかってない。
でも期日は迫ってくる。
見えている上司からは、なぜ聞いてこない?先輩たちも同様な感じだったと思います。
ただ私はこのころには、答えがあることを他人に聞けない状況なので、誰にも相談せず
どんどん時間だけが過ぎていきます。
上司の報告するプレッシャー
先輩たちはどんどん仕事を違うものにシフトするプレッシャー
誰にも打ち明けられず悩みだけが大きくなっている。
誰も声をかけてくれない・・・(本当は周りは待ってたんですけどね~)
自分がどこにいるのか?どこまで進んでいるのか?わからない。。。
つらい・・・
逃げられない・・・
上司に打ち明けるのが怖い・・・
頼れる人もいない・・・
どうしよう・・・
先輩が明るく声をかけてくれたことで前に進みます。
先輩に打ち明けるとそんなことあるよね~
ただいうべき。できないことも報告すべき!
アウェー状態の苦い体験
アウェー感を作り出していたのは、まぎれもなく自分で、いろいろ問題を作ったのも自分であった。
苦い体験もたくさんある。東京での思い出でした。

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丸正開発に入社する経緯

苦いアウェー状態を作り出していたのは自分。
仕事に楽しみを覚えていた自分でしたが、、、
ここでも転機が現れます。
現在の妻と同居生活を送っていたのですが、彼女はなじめず悩んでいました。
かといって私もフォローできず悩んでいました。
正直どうしたものか?
どうすれば解決するのだろうか?
開発という仕事、素早く定時になんてできません。いや私の実力だとできなかったのが正しいですね。
できている先輩もいらしたので、、、
で彼女の件、自分ではどうもしてあげられない状況。
実家で親が行っている家業でどうにかできないか?という甘えもあり、
親に相談し、戻る決断をしていきます。
かといえ、今まで行ってきた自分のキャリアを簡単に捨てられるわけもなく、
親の家業は、フォローで、ほかの仕事をメインにしようと考えていました。
ただ私のキャリアに近い仕事もなく、仕事をゆっくり探している状況でした。
会社は今からよくなる。
だから一緒にやらないか?と親の話を聞くうちに断る理由がなく、この道を選択しました。
数年後・・・
いや一向に良くなってないな~と感じてきたのは、、、
理由があるのでこれはまたのちのブログで書くとしましょう。

妹と会社を支える期

丸正開発に入社して、家業ならではの作業になります。
創業者である父親、それを支えていた妹と一緒に仕事することになります。
この経験自体が初めて、そして何より、仕事をこなすことを優先していて、
新しい案件に対する知識や、資料のまとめ方請求書や現場の配置含め、
決め事がない状態で仕事している状況でした。
その状況下で仕事が始まります。
仕事は、覚えろ!的な・・・
そして仕事は見つけろ!
正直何をしていいかもわからない。
何が仕事につながるかもわからない。
仕事をしていて、教えるより自分がやったほうが早いというような、業務の状況だったので
正直最初に2年は資料の整理、データ化をしていても何の役に立つかイメージできない仕事を
ひたすら妹と一緒に行っていた感じです。
父親は現場で作業をしてくる。
私・妹すべての業務を広く浅く経験し、対応してみる。
気づいたことを改善するの連続・・・
正直に妹に優位に立たれるのは兄として居心地が悪かったので、仕事が彼女ができるが、、、
指示されるのは葛藤があったのが、事実です。
ただ、それをこなし、対応していくことで、着実に力がついていきます。
社内に教えられる人がいないなら、外から学んで来い!という父
ただその相手がどこにいるかもわからないので、父に対抗していた私がいましたね。
それを妹や社員にも伝えている状況があったので、反発もしていたと思います。
ただ何がきついか。。。
親の言っている思いを理解、妹が行っている行動の理解を整理できない状況がきついですよね。
それで衝突することの連続がありました。
私は営業としてできる受注件数や入札を行い、私単体の売上を伸ばし、父は現場で現場の対応をし、
妹は、事務所や書類関係を対応することで、いくつか努力が重なり、家業は安定を迎えます。
そうこう繰り返していく中、社員が増えていき、自分が教える側に回り、
会社の決断もさせてもらえていく中、今の会社の形と変わっていきます。
丸正開発から始まった事業は、私と妹を中心に体制を整えていくように変化しました。

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世代交代と今後の展望

いくつかの試練があり、私は試されていきました。
今、父の力があるうちに、父とともに成長してきた会社の業務を
引き継いでいかなければ、後になればなるほど対応が遅くなるのではないか?と
今考えると事業継承を2016年に着手していきました。
それを取り組むと、すぐに父と一緒に成長してきた会社に私はプレッシャーを感じていきます。
まず、父親と同じだけの人脈が私にはない、現場の経験が浅くそれを指揮できない、
書類の作成はできるが、経理業務や雑務はほぼまっさら。
肝心なところ父親の売り上げは、丸正開発=創業者で、人脈で売り上げを主に上げている会社と
理解する必要性が出てきました。
対して私は入札やHPなどの集客がメイン、まず人脈の継承が先だと認識しました。
まずは、父親の持っているノウハウすべてを組織として引き継ぎ、
丸正開発=創業者→丸正開発=社員一同と変化を遂げようと計画しました。
営業の業務については、私が軸となり、営業部に
現場の運営や作業の業務は熟練者技術者を軸に工事部に
総務の業務は妹を軸に総務部に
と思い行動してみました。
うまくいかない。
それどころか組織編制で、妹が別会社社長となり、工事部熟練技術者退職と、、、
試練が続き、、、
私を中心として、どうにか業自体は回るようにはなりました。
ただ父と同じ土俵に立てていない私では、弱体化した状態でしか
引継ぎが行えなかった。。。
その状態で私が変われば、私の努力が足りないともがいて1年。
うまくいきません。
いろんな方々からアドバイスを受けます。
「無理しなくてもいいのでは?」「好きなことをしたら?」
私の答えは「丸正開発を続けたい」
その理由として、私や父、人として生を受けた以上、
それを終える日がやってきます。
何もしなければ、すごい人だったね!それですべてなくなります。
2世代あとくらいには、そのこともなくなりそうな気すらします。
父が、「皆で頑張り、皆で豊かになろう」の想いのバトンで繋ぎたい。
しかも父がやっていた以上に強化して、そして私以降もそれを繋ぎ、
想いが広がることで、忘れるのではなく、皆で込めた想いがずっとバトンとして
繋がっていってほしいと本気で考えていたからです。
なので私の中で、次世代に想いを繋ぎ続け、それを超え続けることの
リレーを簡単にあきらめる
その父の想いや今まで頑張っていた社員たちの姿勢を
繋がず終える活動を選択が私にはとても嫌でした。
私の中で今まで
ただ今の私の勧め方では、次の世代に繋ぎたいが実現できない。。。
社員のコアにいるメンバーに今一度相談したのが再スタートでした。

丸正開発コンセプト

【共に創り続ける幸せの環境】になります。

共に創り続ける幸せの環境

お客様の幸せを社員全員で取り組みそれを創り続け行きたい!

のでそれを県内全域に届けたいと現在の私のもっとーとなっています。

ちなみに私は、公務員になりたいとは思いませんでしたが、大学の先生に会い、

教師という職業には社会人になって憧れました。

今の会社では無理だと。。。思いましたが、、、

それは違いました。稼がせるのではなく、共に稼ぎ方を学ぶ・教えるは今でもできます。

私は優しくはありませんが、そこに芯があるため、私と仕事をするということは、

(写真①)丸正開発さま▷代表就任式@2019年8月31日(土)

【今を満足しないあなた/今後も前に進みたいあなた】

※ただ私と同じ過ちを繰り返さないでください。自分だけがすごいわけでは絶対ありません。

勘違いしないでください!周りの助けも不可欠で今があります。

これから前に進むために私+私達(社員一同)は共に歩み続けます!

これからも丸正開発を宜しくお願い致します!